●●○夏の日の夢-3
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柿崎朱音は、祐以の幼なじみだった。
二人の家は比較的近くにあり、歳も同じで、幼稚園の頃からよく一緒に遊んでいた。
もちろん幼い頃は誰も、歳の近い友達と男女関係なく遊ぶものなのだが。
しかし、何故か二人は周りから特別視されていた。
特別仲がいいという訳でもなかったのだが、何となく一緒にいることが多かったのだ。
しかし、二人の間に恋愛感情はなかった。
少なくとも、祐以はずっといい友達でいられればいいと思っていた。
しかし、中学生になった年に、その願いは叶えられないものになってしまった。
中学一年の春、朱音は発病した。そのときはもう手遅れで、治る見込みはなかった。
しかし、朱音の両親も、医者や看護婦も、朱音に病名を伏せ、必ず治ると言い聞かせていた。
朱音はそれを信じて疑わなかった。
祐以は朱音の入院する病院に、よく見舞いに行った。
親同士仲が良いこともあり、遥香も何度か行っていたらしく、遥香に連れられて行ったこともあった。
朱音はいつも「元気になったらねぇ…」と、口癖のように明るく話してくれた。
その年の秋のある日、祐以が一人で朱音に会いに行った時のことだ。
祐以が病室に入ったとき、朱音はベッドに突っ伏して泣いていた。
「どうしたの?」
祐以が尋ねると、朱音は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、祐以の方を見た。
「私もう、誰も信じられない………」
今まで聞いたことがないような弱々しい声で朱音が答えた。
「祐以くんも知ってたの?」
朱音の問いに、祐以は何のことか分からないと答えた。
「私、今までみんなに騙されてた」
聞けば、今日たまたま、主治医と両親が自分の病気について話しているのを聞いたと言うのだ。
それによれば、自分はもう回復することはなく、おそらくあと数ヶ月の命だということらしい。
それは、祐以にとってもショッキングなことだった。
「絶対に治るって、そう言ってたんだよ。なのにあと、数ヶ月の命? 信じられないよ……」
「でも、朱音ちゃんのことを想って、みんなそう言ってたんじゃないの?」
そうは言ったが、祐以自身信じたくなかった。
「違うよ。本当に私のこと想ってたんなら、私のこと騙すはずないじゃん。本当のこと知ってたら、そのつもりで残りの人生過ごせたのに! 余計な期待せずにすんだのに!」
祐以には、何も言えなかった。一番辛いのは朱音なのだ。
それを代わってやることなど、できない。
「こんな気持ちのままで、死にたくない。でも、誰のことも信じられない」
最近の朱音は、はたから見ても分かるほどやつれていた。
それくらい体力的にも精神的にも辛い時だったのだから、そのショックは想像もつかないものだっただろう。
「俺のことも、信じられない?」
帰り際に、祐以が尋ねた。
「……ごめん。信じたいけど、信じられないよ」
そう言った朱音の表情は窓から射し込む西陽が逆光になり、よく分からなかった。
「本当に、ごめん」
そう繰り返した謝罪の言葉が、祐以が聞いた朱音の最後の言葉だった。
それから一ヶ月も経たないうちに――もう一度見舞いに行くこともないうちに、朱音は逝った。
「今思えば、俺の幼い初恋だったのかもしれない」
カフェからの帰り道、未穂に朱音のことを話した祐以は、最後にそう付け加えた。
けれど本当にそうだったのか、真相は今もわからずじまいである。
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次の日祐以は未穂に、そろそろ帰らないかと提案してみた。
この町に戻ってきて、この日はちょうど一週間目だった。
「……うん。そうしよっか」
以外にも未穂は、拒否をしなかった。
「ただ、ひとつだけお願いがあるの」
「何?」
未穂のその願いは、朱音の墓に参りたいというものだった。
柿崎家の墓は、町内の共同墓地の一角にあった。
元々山だった場所を切り崩した斜面に縦横に通路が走り、家ごとの区画が段々畑のように並んでいる。
蝉の声がしていた。喧しい筈なのに、何故かそこには静寂があった。
ゆく夏を惜しむような、自らの命の儚さを嘆くような、そんな悲しげな声だった。
小さな寺の建物の脇で祐以は備え付けの桶に水を汲み、備え付けの柄杓を桶に入れた。
そして二人は坂になっている陽辺りの良い通路を歩いて、柿崎家の区画へと向かう。
朱音の墓には、おそらくお盆に参った誰かのものであろう、白い菊の花が供えてあった。
二人は黙ったままで、強い日差しに照らされて熱くなった墓石に水をかけ、手を合わせた。
「霧沢くん?」
墓石の前にしゃがみ込んだまま、未穂がぽつりと言った。
「色々迷惑かけたけど………ごめんなさい。それと、我が侭に付き合ってくれて、ありがとう」
祐以は、ただ黙ったままで聞いていた。
「……何か申し訳ないな、朱音さんに」
「朱音に?」
「そう。私、何であなたのこと信じなかったんだろうって、今更思うよ。それに死ぬ勇気もないのに、冗談でも死にたいって思って、あんなことした自分が、バカみたいだよ。朱音さんは、生きていたくても、生きられなかったっていうのに……」
そう言って未穂は、少し悲しげに笑んで見せた。
「実はね、霧沢くん。立場は違うけど、私も他人のこと信じられなかったんだ。本当はみんな私のこと嫌ってて、私のこと要らないって思ってるんじゃないかって、ずっと思ってた。友だちも、両親も、霧沢くんも、みんな」
ぽつりぽつりと未穂が言葉を発すると、それが祐以の耳に届くかどうかのところで、蝉の声に掻き消されていった。
「甘い期待や望みを抱いてても、それが裏切られるのが怖かったし。だから夢なんて、見れなかった」
未穂はふいに振り向き、少し微笑んで言った。
「ねぇ、霧沢くん?」
「何?」
「霧沢くんは、ずっと私の傍に居てくれる?」
「………そうだな」
そう答えた直後に祐以が見せた少し悲しげな目の色に、未穂は気付かなかった。
+ + + エピローグ + + +
あれは、夏休みの終わりのことだった。
「………留学?」
突然告げられた祐以の言葉に、未穂はただそう聞き返すのが精一杯だった。
「ごめん。もっと早く話そうと思ってたんだけど……。本当に、ごめん」
祐以の実家から帰って来て数日後のことだった。
「いつから、いつまで?」
泣き出しそうになるのをこらえながら、未穂は訊ねた。
傾きかけた陽に照らされた、祐以の部屋。
薄明かりのおかげで、表情は見えない。
「明日出発だけど、もう行かなきゃ行けないんだ。三年間は戻らないと思う」
そう言うと祐以は荷物を持って、ドアの脇に立っていた未穂の傍を過ぎようとした。
未穂の顔をどうしても見ようとしなかったのは、祐以自身もこの唐突な別れにまだ戸惑っていたからだろうか。
祐以でさえそうなのだ。
今の今まで、少なくとも祐以が大学を卒業するまでは一緒にいられると思っていた未穂には、この現実は到底すんなりと受け入れられるものではなかった。
「…………帰って来るよね?」
未穂がぽつりと尋ねた。
ドアを半分出て、未穂と背中あわせになった格好で、祐以は立ち止まる。
「うん。待っててくれる?」
答えはなかった。祐以は、再び歩き出そうとした。
「……待ってるから」
そこまでが、未穂の覚えている限りの明確な記憶である。
おそらくあの時、引き止めることだってできたのだろう。
しかしあの時の未穂は、夢を追って遠くへ行こうとする祐以を引き止める術など、知らなかった。
永いながい夢を見ていた。
誰かを信じる術を求めて、彷徨っていた。
あれから三度目の夏がやって来ようとしている。
約束では、もうすぐ戻ってくるはずである。数ヶ月前届いた手紙にも、そう書かれていた。
一応、答えらしきものは見つかった。
だからこそ、祐以を信じて三年間待つことが出来た。
未穂はもうあの日のように、祐以に甘えてばかりいた子どもではない。
自分ではそう思っている。
三年間で未穂は、あの時の祐以の年齢に追いついた。
未穂は記憶の中の祐以と、同じ年齢になったのだ。
けれどきっと戻って来た祐以は、また自分よりはるかに大人になっているのだろう。
そして自分はまた、三年前と同じように、祐以に甘えてしまうのだろうか。
年々記憶は曖昧になり、約束もあの夏の出来事も嘘だったように思える時がある。
けれど、机の隅で埃をかぶったあのオルゴール、そして手首の傷跡を見る度に未穂は、それは紛れもなく現実だったと思い出す。
決して楽しいものではなかった、あの夏の記憶。
けれど、長い人生の中でも特別な意味を持つ、あの夏の日。
きっといつかは、蜃気楼のように消えてゆくのだろう。
fin.
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これって元タイトルは「夢みたあとで」だったんですよ(苦笑)。
書いてた当時発売延期になったあの曲のタイトルが、凄く気に入ってて。
友だち以上恋人未満の微妙な関係から始まって、自殺未遂&家出ネタ、死んだ幼馴染の話など、色々書こうと思ってたものを詰め込んだ結果になりました。
書いてた時は凄く楽しかったですね。
とにかく祐以くんがどこまでもいい人で、大人で。
傍にいたら、絶対に惚れると思います。
これ書いた頃は未穂と同じ年だったのに、気付いたら祐以くんと同じ歳になってしまいました。
私はどうなんだろう。
あの頃より、少しは大人になれてるのだろうか…なんて。