●●○雪花-ゆきのはな- -1
『朝からどんよりと曇っていた空から、ちぎれた雲の破片のような雪が午後になってから降り始めた。
「ホワイトクリスマスはいいとして、ねぇ」
窓際で少し雪が積もりはじめた町の景色を眺めていた未穂は、思わず溜息を吐いた。
「あーあ、こんなことになるんなら、みんなに霧沢くんのこと話すんじゃなかった!」
「未穂さん、俺がどうしたって?」
慌てて振り向くとそこには、いつの間にやら霧沢祐以がくすくすと笑いながら立っていた。
「どうしたの?」
「何でもないってば」
未穂のこのもやもやした気分が自分のせいだと知っていて(まさか気付かないほど鈍感ではないはずだ)、あくまでいつもの人の良い笑顔を見せる祐以に、思わず八つ当たりしそうになった。
「未穂、霧沢さん、早くこっち来てよ!」
向こうの部屋から、誰かが呼ぶ声がした。
「分かったから、機嫌直して、戻ろう?」
この祐以の一言で、せっかくの逢い引き(?)も終了である。
そもそも、一ヶ月前のあのニアミスが悪かったのである。
未穂は、そう今でも固く信じている。
あの日、未穂はいつもと同じように何人かの友人と一緒に下校していた。
少し冷たい風に吹かれながら、少し大きな道に出ようとした時のことだった。
「未穂さん」
ふいに誰かが呼ぶ声がした。
思わず道の向こうを見ると、向かい側の駐車場に祐以の姿があった。
「霧沢くん?」
思わず口に出して呼んでしまってから、未穂ははっと周りの友人たちの存在に気付いた。
「未穂、誰? 知り合い?」
「あ、今日、迎えなの」
「あれ、未穂ん家の車でしょ? でも未穂って一人っ子だったよね……」
半端な未穂の説明に、友人たちが納得するはずはない。
「じゃああたし、急ぐから!」
そう言ってその場を抜け出したのはいいのだが、未穂は祐以の車に乗り込んだ後で後悔した。
別に祐以の存在は、隠しておくようなものではないのだから。
急な祐以の登場で少し焦っていたとはいえ、きちんと説明しておいた方が、後々面倒なことにはならないはずだった。
まあそのことについては、明日学校でフォローしたらいいのだが……。
「ていうか、霧沢くんどうしたの?」
「だって今日、未穂さんがご両親の結婚記念日のお祝いを買いに行くからって、俺を誘ったんじゃない」
未穂の両親の雪永夫妻は、明日で結婚二十周年を迎える。
そんな両親に娘ながら何かプレゼントをあげようと思い立ったのはよかったのだが、すっかり忘れていた。
それにしても、祐以にその約束をしたのはわずか昨日の事だ。
たった一日で綺麗に忘れてしまうとは、自分の記憶力恐るべし、である。
「もしかして、忘れてた?」
からかうでもなく、何気なくさらりと図星をさされては、普段は気の強い未穂でもさすがに何も言い返せない。
「――それより、学校は?」
話題転換を試みようと、未穂は質問する。
「え? ああ、今日は午前中で終わり。お昼から暇だったから迎えに来たんだけど、いけなかった?」
「ううん、そんなことないよ。ありがと」
結局その日はそれで終わったのだが、次の日学校に行って教室に入るなり、昨日あの場にいた一人、靖恵に尋ねられたものだ。
「昨日のあの人、未穂の彼氏なの?」
未穂は危うく鞄を取り落としそうになりながらも、何とか否定を試みた。
「ち、違うよ。霧沢くんは、うちのアパートに住んでる大学生。ただの友だちだってば」
未穂の父親、雪永透はアパートの管理人なのである。
未穂の家がそのアパートのすぐ傍にあることも手伝い、住人たちはよく雪永家にやって来る。
そんな住人たちの中でも、祐以は比較的未穂と歳も近かったため、すぐに仲良くなったのだ。
「へえ、霧沢さんっていうんだ」
横から声がしたので振り向くと、昨日あの場にいたうちの一人、美琴が意味深な笑みをたたえて立っていた。
「下の名前は?」
美琴が尋ねる。
相変わらず図々しいなと思いつつも、未穂は素直に答える。
「――ゆい」
「女の子みたいな名前ね」
「しめすへんに右の『祐』に、以上以下の『以』」
付け加えのようにぼそりと言った言葉が、彼女たちに届いたのかどうか。
結局まもなく朝の予鈴が鳴ったので話はそこで打ち切りとなった。
しかしその日の昼休みは、さらに激しい質問攻めが待っていた。
靖恵、美琴に加え、別のクラスの亜衣と夏海も加え、昨日あの場にいた全員が終結したのだ。
「霧沢さん、彼女いるの?」
「さあ…。いないって、口では言ってるけどね」
未穂のその一言で、彼女たちは瞳を輝かせた。
結局みんな、現金なのだ。ちょっと格好良くて、背が高くて、大学生なら、誰でも良いのだから。
「未穂!」
「あ……、何?」
「来月クリスマス会、未穂ん家でしよう。もちろん、霧沢さんも呼んで!」
「そんな、勝手に決められても困るし……」
大体まだあと一ヶ月もあるのだ。
「女の約束。絶対ね」
未穂の反論の余地もなく、勝手に決められてしまった。
彼女たちの下心を知りながらも、祐以はかなり楽しそうに振舞っていた。
元々、根がいい人間なのだ。
ゲームで早々と勝ち抜けた未穂が再び席を立った時も、やはり祐以はやって来た。
「未穂さん、どうしたの?」
「別に……」
あからさまに不機嫌な声。
「妬いてるんだ?」
「ちがっ……、そんなんじゃないよ!」
必死で否定する未穂を見て、祐以は苦笑を漏らす。
本当は、分かっているのだ。図星だからこそ、必死になって否定している自分を。
「――ねえ、霧沢くん?」
落ち着いた口調で切り出された未穂の問いに、祐以は目で続きを促す。
「確かに私は、霧沢くんの彼女じゃないよ。でも、こんな関係でも十分満足してる。だって、そもそも恋愛感情はないんだから。でもね……」
「――霧沢くんが他の誰かと仲良くしてるのを見るのは嫌だ、って?」
未穂は素直に頷いた。
「分かってるよ、霧沢くんは私の所有物じゃないんだもん」
「でもまあ、それって友だち同士でもありえる感情じゃないかな? やきもちとは違うかもしれないけど」
「なんか、そのうち私以外の人のことばっかり見るようになるんじゃないかって、不安になるんだよ」
「分かるよ」
「だから自分だけのものにしておきたい人に対しては、恋人だとか親友だとかいうレッテルを貼るんだろうね。そうしないと、安心して付き合えないんだ、きっと」
「うん、そうかもね」
言うだけ言って、未穂は少しすっきりした表情になっていた。
「さてと。みんなが待ってるから、戻ろうか」
またしても未穂は、祐以の一言に素直に従うこととなった。
しかしもう一度未穂が席を抜け出す暇もないうちに、まず美琴が声を発した。
「あ、もうこんな時間」
見ると、部屋の時計は四時前を指していた。
「私、五時から人と約束してるんで、これで失礼します」
そう言って美琴が立ち上がると、靖恵、亜衣、夏海の三人も揃って立ち上がった。
「私も約束してるんだ。ごめんね、未穂」
口々にそう言いながら、彼女たちは帰って行った。お昼前から始めたパーティーだ。
お開きにはちょうどいい時間かもしれないが、かなりあっけない幕切れではあった。
next.