●●○遺作 -1
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「好きです」
あたしが告白した時あの人は、
「知ってるよ」
とだけ答えた。
結局いつまで経ってもあの人はあたしに、好きとか愛してるなんて甘い言葉はくれなかった。
+ + + 1st Track + + +
「もう、終わりにしましょう?」
その問いに、答えはなかった。
「あたし、もう疲れました。どんなにあたしが足掻いても、結局あなたを引き止めることなんて出来やしないんです」
長いながい、いやな沈黙。
「これだけ、訊かせてください。あたしのこと、アソビだったんですか?」
やはり、返事はない。
あたしはあの人に背中を向けた。
「……奈々子」
名前を呼ばれて、あたしは立ち止まる。
「好きだった」
嘘でもいいから、愛していたと言って欲しかったのに。
「ごめんな」
+ + + 2nd Track + + +
あれから数日経ってあたしは、悠莉を呼び出した。とにかく誰かに会いたかったのだと思う。
待ち合わせは、近所の公園。平日だし、どうせ誰もいやしない。
夕陽に染まったその公園に、十分早く着いた。
誰もいない。それをいいことに、あたしは小さな鞄から細身の鋏を取り出した。
少し長くなりすぎた前髪を摘み上げ、ゆっくりと鋏を入れる。じょき、という手ごたえとともに、毛先が風に乗って流されてゆく。
「ナコ姉…?」
悠莉の声が、すぐ後ろから聞こえた。
「失恋記念」
「え……?」
悠莉が絶句した。まぁ、普通そうだろうけど。
「古典的だけどね」
半ば嗤笑気味に、あたしは笑った。
「………そうだね」
くすりと、悠莉が笑う声がした。
「鋏貸して。切ってあげる」
あたしは言われるままに鋏を渡すと、毛先が目に入らないように、瞼を閉じた。
「ケリ、つけたんだ?」
「まぁね」
「後悔、してない?」
「してる。少しだけ」
今なら、素直にそう言えた。こんなに穏やかな日がくるなんて思ってもいなかったけど、以前とは比べ物にならないくらい、あたしの心は落ち着いていた。
あたしの頬に触れて、毛先を払う悠莉の指の感触。あたしに触れたあの人の指先と、一瞬オーバーラップした。でも、あの人のことを思い出しても、あの人のことを考えても、もう心は痛まない。
「ナコ姉、鏡ある?」
悠莉はあたしのことを、何故かこう呼ぶ。歳は一才しか違わないくせに、こいつはあたしを姉のように慕っている。
「これくらいでいい?」
鏡を覗きこむあたしに、悠莉が尋ねる。小さく頷くと、満足げな笑みを見せてくれた。
悠莉は音楽関連の雑誌編集者だ。あたしはアーティスト専門のフォトグラファーをやっている。そんなわけで、あたしたちはよく一緒に仕事をしていた。
「ナコ姉、これからどーすんの?」
「え? とりあえず、ドライヴしよ。綺麗な景色見ながら」
「賛成―」
+ + + 3rd Track + + +
――本日は横浜スタジアムより、読売ジャイアンツ対横浜ベイスターズ二十二回戦の模様をお伝えしております。
カーステレオをつけるとラジオのナイター中継が聞こえた。
「ゆりっぺは、どこのチームが好き?」
以前、そんな話をしたことがあった。
「え? やっぱジャイアンツ―。東京育ちだしね」
そういうものなのだろうか。日本中どこに行っても巨人贔屓だから、東京育ち云々ってこともない気もするのだが。
「ナコ姉は? やっぱり、ベイスターズ?」
確かにあたしは神奈川出身だけど。
「あたし、カープが好きなんだ」
「えぇっ? 広島、遠いよ?」
悠莉はあくまで出身地に拘るつもりだ。
あたしの父親はベイスターズ贔屓だった。幼いあたしは父に連れられて、よく球場に行ったものだ。
はっきりとした記憶は、小学三年頃のこと。少し遅れて球場に入ると、赤い方のチームが負けていた。
単純に赤い色が好きだったあたしは、そのチームを応援した。それが広島東洋カープというチームだと知ったのは、ずっと後のことだった。
しかしあたしはあの日以来、何となくカープを応援し続けていた。
「でも、カープって弱いじゃん。市民球団ってのが、何か田舎くさいし」
でもあたしは、弱かろうが田舎くさかろうが、お金で選手集めたチームよりはマシだと思う。野球ぐらいのことで気まずくなるのも嫌だったから、何も言わなかったけど。
――おぉっと大きい大きい……あーっ、入ったぁ!
実況アナウンサーの興奮した声が、車内に響き渡った。
「やったぁ、ホームラン!」
ジャイアンツの先制ホームランに、悠莉が目を輝かせる。
悠莉、その選手、昔カープにいたって覚えてる?
+ + + 4th Track + + +
結局二回裏のあの一発が起爆剤となり、巨人大勝ムードになってきたので、あたしはラジオを消した。
はっきり言えば、あたしは巨人がキライだ。巨人に限らず、栄光に輝いている多くのモノがキライ。
何でかなって考えたことがあったけど、結論はまるで八つ当たりにしか思えないような理由だった。
栄光に輝いている人たちは、まるで苦労なんてしてないように思える。栄光を掴むまでには、数えきれない努力をしたのだと分かってはいるけど。でも結局、勝者や成功者に敗者のいたみは分からない。
そう思うのだ。
暫くの間、何故か二人とも無言のままだった。何か喋ってよ、と思いつつも、あたし自身何の話題も思いつかなかった。
まぁ、仕方ないか。最近テレビも見てないし。そういえば、当分音楽も聴いてないな……。
テレビを見なかったのは純粋に興味がなかっただけなんだよね。だって最近は、いつだって気が滅入るようなニュースしか聞こえてこない。
でも、音楽は違う。あたしの部屋に散らばってた、数えきれないMD。下手に再生したら、どっかから絶対あの人たちの音が聞こえてきそうだった。ただ、それが怖かっただけ。
…あの人たち――か。
「あの時さぁ……」
あたしはふと思いついて、言葉を切り出した。
「悠莉は、後悔した?」
あの時というのは、おそらく暗黙の了解なはず。約三ヶ月前の事だ。
そしてあの時のあたしは、自分自身が同じ立場になるとは思っていなかった。いや、ある程度は予想してたけど、こんなに早いとは、って言うべきかな。
「しなかった……って言えば嘘になるかな。でもあたしはほら、褒められたもんじゃないような恋愛、してたし」
褒められたもんじゃないような恋愛――一般的には、これをフリンとかいうんだろう。
「だけどさ、いつかはそういう時が来るって分かってたし、自分で決めたことだったもん」
悠莉は淡々と語った。こういう話をするときの悠莉は、いつもののほほんとした悠莉とは別人じゃないかと思えるほど、シリアスだ。
「多分、あれがあたしにとってもあの人にとっても、最善の方法だったんだよ」
最初から結末の決まったラヴ・ストーリー。その結末を知らなかっただけ、あたしは幸せだったのかもしれない。
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