●●○遺作 -2
+ + + 5th Track + + +
澤崎慎哉――悠莉が愛した人の名前。既婚者であり、職業はミュージシャン。
彼の相棒の名は、月森雪人という。慎弥さんより三つ年上の彼は、私が愛した人だ。
そしてもう一人の相棒は、紅一点のAIKAである。
あたしはここ数年、彼らのCDジャケットや、雑誌に載せる写真を撮り続けている。
悠莉もよくあたしと組んで、彼らへのインタビューを行なった。上の者に言わせれば、やっぱり若い女の子が行った方がいろんな話を聞き出しやすいんだそうだ。
悠莉と慎哉さんが付き合い始めたのは、一年くらい前。さすがにあたしにも隠してたけど、何となく態度がおかしくなったんで薄々は気付いてた。
そんなある日それとなくカマかけてみたら、案の定白状してくれた。やっぱり悠莉はカマかけに弱いんだなぁなんて、再確認しました。
それから遡ることさらに半年、あたしと月森さんはその頃から付き合ってた。
あの人の最初の言葉は、
「俺と遊ばない?」
だった。サイテーな男だ。だけど遊びで始まった関係にあたしが本気になるまで、大して時間はかからなかった。
ただし、あの人がこの恋愛に対して本気だったのか最後までアソビのつもりだったのか、今となっては知る術もない。
でもあたしは、あの人のことが好きだった。本気で愛していた。
アーティストとフォトグラファーという立場の違い、十才の歳の差もあったけど、そんなことは気にもならなかった。
+ + + 6th Track + + +
あたしたちが入ったのは、行きつけの居酒屋。数時間先のことも考えて、悠莉の家の近くの店だ。
あたしは車なんだから、帰りは歩くか電車しかない。それだったら近くの駐車場に置かせてもらって、悠莉の家に泊めてもらった方が安上がりだし楽だ、というわけ。
「あ、とりあえずビールと枝豆ねっ」
二人でカウンターに座って顔馴染の店長にそう注文すると、
「あれ、今日は姉妹で御来店? 珍しいね」
なんて言われた。
昔はよく、あたしと悠莉と月森さんたちの五人で、あるいはAIKAさんを除いた四人で飲みに来たものだ。ダブルデート、なんてもんじゃなかったけど。
いつも時間を忘れて、くだらない話や音楽談義を延々と続けていた。おそらくはたから見ても、仕事の打ち上げみたいにしか見えなかったんじゃないだろうか。まぁ、あたしたちはそんなに一般的には顔知られてないんだけどね。
「店長、焼酎お湯割。梅干入れてね」
早々とグラスを空けた悠莉の、追加注文。
「あたし、もう一杯ビール」
+ + + 7th Track + + +
「ゆりっぺ、もうやめなよー」
あたしがぼんやりと考え事をしながらゆっくりビールを三杯飲んでる間に、悠莉の顔はもう真っ赤になっていた。
悠莉の手から、もう何杯目か知れないお酒のグラスを奪い取る。
「やぁだー」
悠莉は駄々をこねた。完全に酔っている証拠だ。
「ゆーりっ。飲み過ぎだってば」
彼女はお酒が好きなくせに、アルコールに弱い。酔いつぶれた悠莉を家まで連れて帰るのは、結局あたしの役目だ。
もっとも、悠莉がまだ慎弥さんと付き合ってた頃は違ったけど。
「奈々子ちゃんも、大変ね」
とあるバーで五人で飲んでた時、AIKAさんが、あたしに苦笑交じりにそう言ったことがあった。いつのことかは忘れたけど、確かあの人と付き合い始めてそう日が経たない頃だった気がする。
「あれ? そういえばあのお二人は?」
さっきまで一緒に飲んでいたあの人たちの姿が、いつの間にか消えていた。
「知らない。何か、急に大事な用があるって二人で出てったけど。また仕事の話じゃない?」
「AIKAさん、抜きでですか?」
「そ。こぉんなイイ女一人残して行くのよ。まったく」
何となく、AIKAさんの表情が曇った気がした。それはほんの一瞬のことだったけど。もしかしてヤなこと――訊いちゃったかな。
「ま、いつもの事だけどね」
そう言って煙草を銜えるAIKAさんは、本当に綺麗な女性だった。いつもフレーム越しに見ながら、女のあたしでさえも見とれてしまうくらいに。
「ね、ナナちゃん。あたしのヤケ酒に、付き合ってよ」
AIKAさんが、カクテルのおかわりを頼んだ。彼女が好きなのは、ブラッディ・マリー。あたしはトマトジュースが駄目だから、飲んだことはない。
「そういえばAIKAさん、本名何ていうんですか?」
ふと口を付いて出た、唐突な質問。AIKAさんがきょとんとした目をあたしに向けた。あたしより年上なのに、こういう表情をするととても幼く見える。
「カミタニアイカ」
ぽつりと、返事があった。
「神様の神に谷、瞳って字に中華の華。珍しいでしょ、これでアイカって読むの」
「神谷瞳華……。いい名前ですね」
瞳華さんは笑った。
そして程なく――瞳華さんは姿を消した。
+ + + 8th Track + + +
あたしがあの頃のことを回顧していると、酔いつぶれていた悠莉が目を覚ました。
「顔、洗って来れば?」
「ん……だいじょぶ、だってば」
全然大丈夫には見えないんですけど。
「店長、悠莉に水あげて」
あたしの言葉で、悠莉の前に冷水のグラスが差し出された。悠莉はそれを一気に飲み干すと、少しさっぱりとした表情になった。
と、ふいに耳慣れたメロディが聞こえたので、あたしははじかれたように店のスピーカーを見上げた。店内放送のラジオから、あの人たちの一年程前のナンバーが流れ出したのだ。
前作から約十ヶ月もの間をあけてリリースされた曲。その間の彼らの活動は全く謎に包まれていたため、一時は解散説まで流れたっけ。
だけどあたしは、その頃の彼らのことをよーく知っている。
「そうだ悠莉、いいモンあげる」
「なぁに、ナコ姉?」
あたしはバッグから手帳を取り出すと、そこにはさんでいた一葉の写真をテーブルに滑らせた。
「写真……? ――あっ!」
思った通りの可愛い反応ををしてくれた悠莉の手の中のその写真には、二人の男性が写っていた。
「ていうか、AIKAさんは?」
そう、あくまで写っていたのは二人の男性――長身に黒っぽい服を纏ったのは澤崎慎弥、その隣でギターを抱えているのは月森雪人である。
彼と別れたことで持て余してしまった、月森さんの写真。
別れても笑顔で慎弥さんのことが好きだといえる悠莉ほど、私は強くないから。
悠莉はその写真を裏返し、また表情を変えた。
「遺作………?」
あたしがそこに書きなぐっていた単語。
「まさかナコ姉……?」
「違うってば、あたしの遺作じゃないの」
+ + + 9th Track + + +
「月森さんっ! 瞳華さんどうしちゃったか、本当に知らないんですか?」
「だからー」
何度となく繰り返した、質疑応答。それでも納得いかなかったのは、瞳華さんの失踪と月森さんが無関係だとは、どうしても思えなかったから。
その数日後、あたしに一つの仕事が舞い込んだ。それは、ジャケ写を瞳華さん抜きで撮る、というものだった。しかし話を聞いてみると、どうもそれは瞳華さんがいなくなったからではなく、元々二人だけで作ったCDらしいことが分かった。
「どういうことですか?」
撮影の数日前、あたしは月森さんを問い詰めた。
「このことと瞳華さんがいなくなったことが関係してるとは、思わないんですか?」
そう尋ねると月森さんは、紙切れを投げてよこした。
「雪人へ。しばらく姿を消します。迷惑かけてごめんなさい。AIKA――って……」
全部知ってたんじゃないですか。そう叫びたかったけど、あたしはただ一言、こう言っただけだった。
「撮影の時は、み・ん・な、遅れずに来てくださいね」
精一杯の、皮肉をこめて。
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