●●○遺作 -3
+ + + 10th Track + + +
「で? それで瞳華さんどうなったの?」
悠莉が尋ねる。
あたしたちは会話の場を悠莉の部屋に移していた。
時計の針は、もう既に日付変更線を通過している。だけど静かな部屋でこーいう話するのも息が詰まりそうだったから、あたしは何気なくテレビを点けさせてもらった。
「あれ? これ、今日の試合だよねぇ?」
悠莉の声で画面に目を移すと、スポーツニュースをやっていた。途中までラジオで聞いていた、あの試合だ。
正しくは昨日の試合だぞって言おうとした瞬間、あたしは目を疑った。
「もしかして、あれから負けちゃったの?」
画面に映し出されているのは、巨人7対横浜8のテロップ。あたしたちがラジオを消したときは、確か7対1だったはずなのに。
「チャンネル変えてみたら、どっかでやってるかも」
言葉どおり、他局のスポーツニュースではちょうど試合のダイジェストを流していた。
それによると、あの後先発ピッチャーは大量6点差をもらい、7回でマウンドを降りている。しかし2番手の中継ぎ投手が大誤算。二発のホームランを含めた計6被安打で、5点を8回に失った。
結局巨人は追加点をあげることができず、1点差で迎えた9回裏、抑えの守護神であるベテラン投手は、逆転サヨナラホームランを許してしまった。
「ウソー、最悪。何やってんのよ、もう」
悠莉でなくとも、それしか言うことはできないだろう。ある意味でアンチ巨人のあたしでさえ、選手の不甲斐なさに呆れてしまったくらいだ。もっとも見方を変えてみれば、横浜ベイスターズの勝利への執念に感嘆すべきなのかもしれない。
「もういい」
そう言って悠莉はテレビのチャンネルを変えた。そこでは見慣れない、海外ドラマをやっていた。
そういえば、よく野球は筋書きのないドラマだ何て言う人がいる。今日の試合なんか、まさにそうなのだろう。
けれどあたしは、恋愛にしろ、人生にしろ、同じことだと思う。最後までどう転ぶか分からない。勝ち負けなんて、誰にも予想できない。
そもそも勝敗があるのかどうかすら、誰も知らないのだから。
+ + + 11th Track + + +
瞳華さんの失踪は、筋書き通りの出来事だったのだろうか。多分、月森さんの台本には、書いてあったんだろうな。
だってあれからあたしが何を言っても落ち着いた表情で、
「ナナは何も心配しなくていい」
なんて言ってたんだから。
多分あの人の台本には、あたしの行動までこと細かに書かれていたんだろう。
結局二人だけの撮影を終えたあの晩、あたしは月森さんと二人で飲みに行った。あたしが瞳華さんの本名を教えてもらった、あの店に。
店に入った時、あたしは瞳華さんがそこにいるような錯覚を覚えた。けれど慌てて店内を見回した時、それが錯覚なんかじゃなかったことに、気付いた。瞳華さんは、そこにいたのだ。照明の暗い店の奥に一人座って、いつものようにブラッディ・マリーを飲みながら。
「奈々子、どうした?」
月森さんは、気付いてないふりをしていた。あたしたちは二人で並んで、カウンター席に座った。
「あたし、ブラッディ・マリー」
「ナナ、それ苦手だって言ってたじゃん」
「いーの。今日は飲みたい気分なの」
あたしのわざとらしい注文にも、月森さんは何の反応も返さなかった。
あたしたちが席についてまもなく、瞳華さんはグラスに半分ほどのブラッディ・マリーを残して、席を立った。出口に向かいながらあたしたちの方をちらりと見ていたから、彼女も気付いていたはずだ。
「月森さん」
「何?」
「分かっているんでしょう? 瞳華さん、出てっちゃいますよ。このままでいいんですか?」
「だからどうしろって?」
あくまで態度を変えようとしない月森さんに、あたしは苛立ちを覚えた。音を立ててグラスを置くと、あたしは立ち上がる。
「追いかけてあげてください」
あたしは静かに告げたが、月森さんは動こうともしない。
「あたしと瞳華さんと、どっちが大切なんですかっ?」
「どーいう意味だよ、ナコ」
「その名前で呼ばないでください」
それはあたしのことを子ども扱いしている時の、呼び名。
「あたしのことはいいから、追ってくださいよ。瞳華さんはあなたの、大事な大事な仕事の相棒でしょう?」
「………ったく」
渋々という様子で、月森さんは立ち上がった。あたしたちは店を出ると足早に歩き、やがて瞳華さんに追いついた。
「瞳華」
瞳華さんの腕を掴んで、月森さんが言う。
「俺の家に来い」
それは、とてもとても冷たい声だった。
「だからお前、わざとらしいんだよ。置手紙にしろ、今日のことにしろ。何? あの演技。どうせ毎日あの店通って、俺か慎弥が追いかけてくれるの待ってたんだろ? 何か言いたいことがあるんなら、電話しろよ」
家に入るなり、月森さんは一気にまくし立てた。あたしが今まで聞いたことがないくらいに、苛立った声。
「しかも俺たちだけならまだしも、ナナにまで心配させて。気付いてたんだよ。他の人たちには体調が思わしくない、とでも言っとくからな。ナナがいるから、これ以上は言わないけど」
瞳華さんは俯いたまま頷いた。
「みんなに迷惑かけないようにって思ったんだろうけど、十分迷惑してるから。――で、どーせあのアルバム出さないで欲しいとか、そんなこと言いたかったんだろ?」
瞳華さんは何も反論をしなかった。ことごとく図星、ということだろう。
「雪人、ごめん……」
消え入りそうな声で、瞳華さんが言った。月森さんは少しだけ、表情を和らげる。
「お前がイヤなら、何もしないで待ってるから。だからお前は、何も心配するな」
「うん…ありがと……」
瞳華さんの目から、涙が溢れた。
やっぱりあたしに入る余地なんてないなぁと思いながら、あたしは静かにその部屋を出た。
+ + + 12th Track + + +
「じゃあ結局、『遺作』ってそのお蔵入りアルバムのタイトルだったってわけ?」
悠莉が言った。
「ま、そーいうことになるかなぁ」
「でもいいなー」
「何が?」
「この写真。月森さん、すごいかっこいいじゃん。初めて見た、こんな表情。澤崎さんも相変わらずかっこいいしー」
なんだかハートマークが十個ほど飛んでそうな声だ。
「はいはい、ごちそうさま」
「別に、惚気てないよ!」
別れた男の話するのも惚気って言うんだろうか。なんてことを思っていたら、悠莉から逆襲の一言。
「ナコ姉だって、実は月森さんのかっこいいトコ、狙って撮ったんでしょ?」
「あたしは仕事に私情は持ち込みません」
そうは言ったけど、実際はどうだか。
「まあ、あんまり追求しないであげる」
余計なお世話だってば。
「でも本当、この頃からナコ姉の写真、変わったよねー」
「どういうこと?」
「んー、何ていうかな。あんまり作ったっぽくない表情になった、って言うか」
そういえば昔、同じようなことを月森さんにも言われた気がする。
「多分この頃って、月森さんと付き合い始めた頃でしょ? だからね、いろんな月森さんの顔見るようになったから、撮影の時に表情を作られると、あ、これ月森さんの表情じゃない、って思っちゃうんだよね。だからじゃないかな」
「……惚気てる?」
「んなわけないでしょ」
そんなあたしの言葉を聞いてか聞かずか、悠莉は楽しそうにこう言った。
「愛の力だね」
でも完全に否定はできないんで、あたしはそれ以上の反論を諦めた。
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