●●○真夏のデ・ジャ・ヴ〜遥かなる命の詩<うた>〜 -1
笑瑠の母親が死んだという知らせを咲麗が聞いたのは、八月のある昼下がりのことだった。
咲麗は夏休みを利用して、生まれ育ったこの町に帰ってきていた。
家から離れた大学へ進学した咲麗と違い、笑瑠は自宅から通える学校に通っていた。そんな幼馴染に久しぶりに会おうと思っていた、そんな矢先の訃報だった。
(あれ…? こんなの、どこかで……)
葬儀場と化した笑瑠の家に入った時に感じたのは、そんな既視感だった。
白い花で囲まれた棺、悔やみを述べる人々のざわめきと蝉の声、目を真っ赤に晴らした喪服姿の女性…いつも見る光景だ。既視感として甦ったのがいつの記憶かなんて、はっきりとは断定できない。だって記憶の中の葬式といえば、どれも決まって真夏なのだから。
「姉貴、どうかした?」
ぼーっと突っ立っている咲麗に、萌葱が声をかける。
「ううん、なんでもない」
「そう。じゃあ、俺、樹のとこ行くから」
そう言って背を向けた萌葱を目で追う。
樹というのは、笑瑠の二つ違いの弟だ。いつも冗談を言っては周りを笑わせてばかりいるお調子者だが、さすがに今日はいつもとは違う表情をしていた。
定刻になり、葬儀は予定通りしめやかに営まれた。そしていよいよ、出棺の時が来た。
「……?」
咲麗が何者かの視線に気付いて振り返ると、そこにはこちらをじっと見つめる一人の男の姿があった。しかし咲麗の視線に気付くと、男はすぐにその場を立ち去る。
時を同じくして、女性のすすり泣きが聞こえた。それは母親の棺に花を入れながら最期の別れをしている、笑瑠のものだった。
笑瑠の足元に、彼女の姪にあたる小さな女の子がいた。その少女は自分の背と代わらない棺を何とか覗き込もうと頑張っており、それに気付いた笑瑠がその子を抱き上げた。
少女は、一輪の白い花を投げ入れた。
――ほら、もう、バイバイなのよ。
――なんで?
涙声で子供を諭す女性の声と、尋ね返すあどけない声。それは笑瑠のものではなく、咲麗の記憶の奥から湧き上がったものだった。
(誰の声…?)
聞いたことがあるはずなのに、分からない。
女性のすすり泣き。花を投げ入れる女の子。誰かの鋭い視線。どれも過去に経験したことがあるものだ。
だけどそれは、いつ、どこで――。
(何で、思い出せないんだろう?)
瞬間、咲麗は激しい頭痛に襲われた。一瞬視界が歪んだかと思うと、その場に倒れこんでしまう。
「姉さん!」
萌葱の声が、遠くで聞こえた。抱き起こしたのは萌葱の手のはずなのに。
あたしもこのまま死ぬのかな――遠退く意識の中で、咲麗はふとそう思った。
* * *
葬儀に出席していた近所の医者のおかげで、咲麗は速やかに処置がなされ病院に運び込まれた。町内にある小さいけれど唯一の総合病院であり、咲麗たちも幼い頃から世話になっている病院だ。
それでもなお、意識はなかなか戻らなかった。しかし検査の結果、突然の高熱意外には何の異常もみられなかった。
「とりあえず、このまま少し様子を見よう」
医師はそう告げ、不安顔の萌葱を家に帰した。
咲麗が目を覚ましたのは、その翌日のことだった。
萌葱が病室に駆けつけた時、咲麗はベッドの上に身を起こし、虚ろな目で窓の外を眺めていた。その脇には医師と看護婦が立つ。しかしその表情は決して明るいものではなかった。
「萌葱くん、大切な話があるんだ」
萌葱の顔を見るなり、中年医師は口を開いた。
「とても言い難いのだけど、君のお姐さんは……」
萌葱は医師の顔を見つめ、ごくりと息を呑む。
「記憶を、失っている」
「……どういう…ことですか」
嘘でしょう、と、声には出さず呟く。
そんな萌葱の心を見透かすように、医師と看護婦は顔を見合わせて頷くと咲麗に声を掛けた。
「咲麗さん、あなたの弟の萌葱くんですよ」
虚ろな咲麗の目が、萌葱に向けられた。そしてゆっくりと口を開く。
「私の…弟…? も…えぎ……?」
「…姉貴?」
しばらく萌葱を見つめていた咲麗だったが、やがて静かに目を伏せてゆっくりと首を振った。
「そんな…俺のことが分からないのか?」
咲麗の唇が、微かに「ごめんなさい」と動いた。
「先生、記憶は戻らないんですか?」
「今はまだ、何とも言えないよ。それに…」
医師は少し言い淀むと、萌葱を手招きする。
「萌葱くん、ちょっと来てくれないかな」
医師に促されて萌葱が入った部屋には、カンファレンスと札がかかっていた。入ったのは初めてだが、医師と患者の家族が話をする部屋だということは知っている。
なんだか姉が重病人になってしまったような気分になったが、慌ててその考えを頭から払いのける。
「咲麗さんは、一時的に記憶を封鎖してしまっていると考えられるんだ。何かを思い出そうとすると、激しい頭痛に襲われるようだからね。とても辛い体験をしたり激しいショックを受けた時に起こる症状だけど……」
しかし、咲麗が倒れたのは葬儀の時だ。確かに笑瑠や樹の母親とは昔から親しかったが、これほどまでのショックを受けたとは考えにくい。それは萌葱も医師も同じ考えのようだった。
「けれど、これ以上のことは内科の私にはどうしようもできない。それに、この病院には精神科や心療内科などもないんだよ。もちろん、できる限りのことはするけれど、咲麗さんの記憶が戻るかどうかは今の段階では何とも…」
病院から出て行く萌葱の足取りは、とても重かった。
家族には、特に両親には、このことは知らせまいと思った。
大事な一人娘の上に幼い頃から病弱で内気だった咲麗を両親は過保護と思えるほどに大事にしていた。そんな両親が、咲麗が記憶を失ってしまったことを知ったら…。
それを思うと、萌葱の口から真実を告げるなんて、到底無理なことに思われた。だから両親が共働きで咲麗を見舞いに行く時間がないことが、萌葱には幸いだった。
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