●○真夏のデ・ジャ・ヴ〜遥かなる命の詩<うた>〜 -3

「姉さん、気分はどう?」


病室に入ると、咲麗は昨日と同じようにぼんやりと窓を見ていた。

萌葱の声にゆっくりと振り向く咲麗は、やはりいつもの咲麗と同じ表情をしていた。けれど、目の色だけが違う。


「また来たんですね…」


ゆっくりと発せられる咲麗の声。自分に向けられたものかと思ったが、すぐに杉山へのものだと気付いた。


「どうですか? 何か、思い出しましたか?」


杉山の声に、咲麗は力なく首を横に振る。


「だけど……なんだか凄く懐かしい気がします、あなたを見ていると」


予想外の言葉に、萌葱は愕然とした。


「姉貴、杉山さんと会ったことがあるのか?」


少々興奮気味の萌葱とは対照的に、咲麗は穏やかな微笑を浮かべただけだった。


「いいえ。懐かしいけれど、何も思い出せません」

「杉山さんは?」


「いや、俺が咲麗さんと会ったのは、昨日お見舞いに来た時が初めてだよ。尤も、お葬式の時に見かけていたのを覚えているのかもしれないけど」

「…お葬式……?」


咲麗が、虚ろな目をしたままで呟いた。


「……頭が…痛い……」


そう言って咲麗は、急に頭を抱えてベッドに突っ伏した。


「姉さん?」


心配そうな声で名を呼び、萌葱は咲麗の傍に駆け寄る。


「何かを、思い出しかけてるのかもしれない」


隣で杉山が、小声で言った。


「やっぱり記憶の鍵は、お葬式にあるようだね」


萌葱は、黙って頷いた。


咲麗が落ち着きを取り戻すまで、萌葱はただ傍で見ている他はなかった。

杉山はその間に、病室を出てどこかへ行ったようだった。戻ってきた杉山の手には、缶入りの飲み物が三つ。開花の売店の自動販売機に、それを買いに行っていたのだろう。


「喉、渇かない?」


杉山が尋ねる。

確かに今日も真夏日である。しかも病院の建物の中は冷房が効いているのだが、患者の健康のためにさほど温度は低くない。そんなわけなので、喉が渇いていないと言えば、嘘になる。


「ありがとうございます。――姉さんは?」


杉山からスポーツドリンクを受け取って、咲麗の方を見る。


「じゃあ、烏龍茶を……」


杉山は咲麗に烏龍茶の缶を渡すと、手に残った缶コーヒーを開けた。そしてそのままベッドの脇の椅子に腰掛ける。

それに倣い、萌葱も空いているもう一つの椅子に腰を下ろした。


(あれ?)


何だか不思議な感じがした。

杉山は全く違う飲料を三つ買って来ている。それなのに三人とも、お目当ての飲み物を手にしているのだ。ということは、杉山が二人の好みを知っているとしか考えられないではないか。心理学を学べば好みの飲み物まで分かってしまうのかどうかは定かではないので何とも言えないが、やはり萌葱には、この杉山という男がただ者ではないような気がしてならない。



「――さっきはすみませんでした」


少し烏龍茶を口にし、大分落ち着いた様子の咲麗が口を開いた。


「いえ、こちらこそ。不用意にあんなことを言ってしまって、すみません」


杉山が頭を下げた。咲麗は大して気にしていない、という風に少し微笑んだ。


「お葬式、のことですね? 私も、お葬式の時に倒れたということは、何となく分かるんです。でも、それ以上を思い出そうとすると……」


そう言って、咲麗は少し目を伏せた。杉山はそれを見ながら少し言い難そうに、やがて口を開いた。


「また気分が悪くなったら、すぐに教えてください」


そう断っておいてから、言葉を続ける。


「咲麗さんがお葬式の時に倒れたこと、お葬式に対して過剰に反応することから考えて、咲麗さんの記憶の鍵はお葬式にあると考えられます。しかも、真夏のね。今から萌葱くんに、今まで咲麗さんが体験したお葬式について話してもらうので、何か思い出したら言ってください」


咲麗は少し躊躇い、そして小さく頷いた。


「いいですか? 無理をして何かを思い出そうとしてはいけませんよ」


それだけ言い置いて、杉山は萌葱に目で合図を送った。

萌葱は椅子を移動させて咲麗の表情がはっきり見えるところに座りなおすと、何度も杉山の顔を見ながら、話を始めた。


「姉さんが一番最近体験したお葬式は、笑瑠さんと樹のお母さんのお葬式だよ。この時に、姉さんは倒れたんだ。で、笑瑠さんっていうのは姉貴の幼馴染で、樹はその弟、俺の友だち。だからおばさんには、小さい頃からよく世話になってたよ」


実際、咲麗も萌葱も、笑瑠たちの母親とはかなり親しかった。いつも明るく気さくな女性で、まるで友だちのように二人に接してくれていた。元気な笑顔の記憶しかなかったので、突然病死したと聞いた時には実感がなかなか湧かなかったくらいだ。

少し間を置いて、咲麗の顔色を窺う。しかし、変化は見られない。


「その前は、姉さんが中学生の頃だったかな。母さんの実家の、ひいばあちゃんの葬式だよ。もうすぐ百歳だったけど、まだ十分元気に家の中を歩き回ってた。死ぬ一週間前くらいに会いに行った時も元気そうだった。ボケてもなかったし、会いに行くといつもお菓子をくれてね」


曾祖母の元気だった頃の姿を思い出し、不覚にも目頭が熱くなってきてしまった。慌てて俯くと、すかさず杉山が声を掛けてきた。


「萌葱、大丈夫?」


多少感傷的になってしまったとはいえ、これでは格好悪すぎる。萌葱は慌てて顔を上げると、首を振った。


「大丈夫ですよ」


そして自分の心を落ち着けて、話を続ける。


「で、その前は、うちにいたひいばあちゃんの葬式かな。姉さんは小学六年生だった。二学期が始まってたから厳密には真夏じゃないけど、まだ結構暑い日だった。ひいばあちゃんは姉さんが幼稚園の頃にボケてしまったらしくて、ずっと家で面倒見てたけど大変だったよ。家の中を徘徊したりね。そんなこんなでその年の夏、うろうろ歩いていたひいばあちゃんは転んで、脚の骨を折ったんだ。それで病院に行った時、このままだとあと数ヶ月、入院したとしても半年の命だと宣告された」


そこまで話した時、咲麗は表情をしかめた。しかし何かを思い出したわけではなく、ただ客観的に話を聞いていて辛くなったようだった。


「俺が物心ついた時からひいばあちゃんはボケてたから何の思い出もないんだけど、姉さんは小学生になってからもひいばあちゃんとよく話をしてたんだよ。あの宣告を聞いた時、うちの中で姉さんが一番辛そうだったよ。結局家で引き取って看取ることにして、一ヶ月で呆気なく死んだんだ。みんな覚悟はしてたけど、こんなに早いとは、っていうのが本音だったと思う」


萌葱は別に脚色などしてないのだが、何だかひとつの感動ストーリーになるような気がした。ちらりと杉山の方を見ると、彼も神妙な表情をして聞いていた。


「最後、一番昔に体験した葬式は、うちのひいじいちゃんの葬式。姉さんが四歳の頃。俺はまだちっちゃかったから何も覚えてないけど、その時の話は母さんとかから聞いたことがある。っていうか、姉さんが一番詳しく話してくれたのかな。誰もあの日が何曜日だったかなんて覚えてなかったのに、姉さんは幼稚園が午前中で終わったから土曜日だって言い張ったりしてた。しかも、俺は葬式の最中ずっと寝てたとか、どうでもいいことまで覚えてるしな」


最後は少し茶化したようになってしまったが、本当にその時のことは又聞きした内容しか知らない。


そこまで話すと、萌葱は大きく溜息を吐いた。



next.





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