●○真夏のデ・ジャ・ヴ〜遥かなる命の詩<うた>〜 -5

次の日、杉山からの連絡はなかった。仕方なく萌葱は一人で咲麗の見舞いに行ったが、昨日の別れ際とは打って変わって明るい表情だったので、心底安心した。



そして次の日も、連絡はないかと思っていた。


ちょうど、昼ごはんを食べ終わってぼーっとテレビを見ている時だった。

突然、電話が鳴った。何となく杉山からのものだと、直感した。萌葱は慌てて受話器を取る。


「はい、鶯化です」

「萌葱? 杉山だけど…」


受話器の向こうからは、予想通りの人物の声が聞こえた。


「ちょっと話したいことがあるんだけど、これから行ってもいいかな?」


電話越しに聞く杉山の声は、声の主が見えない分、何だか感覚に引っかかるものがあった。出会った時から感じ続けている、既視感である。


「電話じゃ、駄目なんですか?」

「まぁ、そういうことかな」

「別にいいですよ。暇だし、両親も仕事だし。これからすぐに来るんですか?」


杉山は少し考えるように沈黙し、そして答える。


「――じゃあ、今から二十分後に」


了解の意思を伝えると、電話は切れた。



実際、杉山は約束の時間ぴったりにやって来た。


「まず、これを見て欲しい」


最初の日と同じように応接室に通された杉山は、そのソファに落ち着くなり一葉の写真を差し出した。

写真の日付は、今から十五年以上前のものだったが、それほど傷んでも色褪せもしていなかった。ずっと大切にアルバムにしまってあった、そんな雰囲気だ。


そして写っているのは、無邪気に笑う子どもたちの姿――どれもまだ三歳ほどの幼さで、女の子が二人と男の子が一人。春に撮られたものらしく、一面に蓮華草の咲く田圃をバックにして、シロツメクサやタンポポなどを腕一杯に抱えた女の子、その隣の女の子はカメラに気付かないのか、しゃがみこんで蓮華草を摘んでいる。更にその横では、男の子が泥だらけの手でピースサインをしていた。


「これ……」


萌葱は思わず声を漏らした。そこに写っていた少女――右端で花を抱えているのは、紛れもなく幼い頃の咲麗だったのだ。


「…どうしてこんな写真、杉山さんが、持っているんですか?」


やっとのことでそう尋ねた萌葱に、杉山は少し困ったような表情をした。


「――それ、俺の写真なんだ」


やがて静かに、杉山が答えた。

瞬間、萌葱は手にした写真をもう一度凝視する。つまり、この左端の少年が、杉山だということだろうか。けれど萌葱は今まで杉山敦≠ネんて人物は知らなかったし、咲麗の口からその名を聞いたことすらなかった。と、いうことは――。


「……仕方ないな」


写真と杉山の顔を何度も交互に見つめる萌葱に、杉山は小さく溜息を吐いた。


「杉山敦は偽名だよ」


萌葱の視線が、杉山の顔の上で、止まった。


「俺だよ。覚えてるだろ?」


言って、杉山は色眼鏡のようなサングラスを外した。


「…新出、劉真、さん……?」

「あたり」


思いっきり驚いた表情の萌葱とは対照的に、杉山は表情一つ変えない。


新出劉真は、咲麗の幼馴染だった。

小学五年生の頃までずっと仲良くしていたのだが、六年生になってから劉真は隣町へ引っ越してしまった。中学も高校も別々だったし、萌葱が劉真と会うのは実に七、八年ぶりのことだ。これでは、姿や声で同一人物だと気付けなくても仕方がない(萌葱の記憶している劉真の声は変声期前のものだったし)



「で、まぁこの際俺のことはどうでもいいとして、この写真の女の子、誰だか分かる?」

「誰って…姉さんでしょう?」

「咲麗だよ、こっちは。じゃなくて、こっち」


劉真は、花を摘んでいる方の少女を指で示した。けれどこちらの少女は下を向いていることもあり、顔がよく分からない。


「笑瑠さん…?」


笑瑠も二人とは幼馴染なので、答えとしては妥当である。しかし劉真はそれをあっさりと否定する。


「残念ながら、笑瑠ちゃんじゃないんだ。萌葱は小さかったから覚えてないかもしれないけど、日付からするとこれはまだ、笑瑠ちゃんが引っ越してくる前の写真なんだよ」


そういえば、そうだった。笑瑠と樹の一家は、二人がまだ小さい頃に引っ越してきたのだ。ただし、萌葱が物心つく前の出来事だったので、それがいつのことかははっきり知らない。


「じゃあ、誰なんですか?」


萌葱が尋ねると、劉真は更に一枚の紙片を取り出した。


「これ、昨日図書館でコピーさせてもらったんだけど、その年の夏の新聞記事なんだ」


写真と新聞記事の関連がよく分からない萌葱だったが、受け取って見出しを目にした瞬間、分かった。


『交通事故で、女児死亡』


つまり、事故で死んだのがこの写真の少女ということだろう。そう思い記事を読み進めていた萌葱は、少女の名前を目にした瞬間、全身の体温が奪われてしまったような衝撃を受けた。


「……鴬花…純麗…?」

「咲麗の双子の妹、萌葱のもう一人の姉さんだよ」

「嘘! 俺はそんな名前、今初めて知った」


信じたくはなかったが、否定する方が難しかった。同姓同名ということもなくはないだろうが、“鶯花”という苗字はそうざらにはない。更に春に生まれたということで桜の花から取ってつけられた咲麗と対になる、同じく春の花である菫から取った“純麗”という名前。


「萌葱、これは他の新聞の地方欄から取った記事なんだけど」


劉真が萌葱に、別の紙片を取り出した。

その記事には写真も刑されており、その少女の顔はさっき見た幼い頃の咲麗と瓜二つだった。これではもう、疑う余地はない。


「お前が知らなかったのは、純麗の存在が隠されていたからなんだ」


静かに、劉真が告げた。


「誰に? 一体、何のために?」


納得できないと言わんばかりに、萌葱は劉真に食いかかる。何で実の弟が、姉の存在を隠されなければいけないのだろう。そんな憤りを、目に湛えて。


「説明するから、落ち着けって」


思わずソファから立ち上がっていた萌葱をもう一度座り直させて、話し始める劉真。


「俺も隠されていたらしいから、推測するしかないんだけどな」


劉真は最初に、そう前置きした。


「咲麗と純麗は、写真からも分かる通り、一卵性双生児だった。つまり、生まれた時からずっと一緒だったわけだ。残念ながらはっきりと覚えてはいなかったけど、俺は二人と昔よく遊んでいたんだ。だけどある日、純麗は交通事故で死んでしまった。そんなわけで、純麗のことを知る咲麗と俺、そして実の弟である萌葱の前から、純麗の存在は隠された。物心ついてその事実を知った時、かなりのショックを受けると思ったんだろうな」


そこで少し、劉真は言葉を切った。


「しかもその方法は、かなり徹底していたみたいだよ。例えば俺の両親は昔から写真好きなんだけど、そのアルバムの中に何枚か、意図的に剥がされた跡があった。どれもそれは三歳の夏以前のものばかりで、しかも決まって町民行事とかなんだ」


そういえば萌葱も、昔のアルバムを見せてもらった時、剥がされた写真の跡を見たことがあった。出し入れ自由なポケット式ではなく貼り付け式だったから、そこには不自然なスペースができていた。


「あの写真は両親も気付かなかったみたいだ。顔がよく分からなかったから、多分笑瑠ちゃんと間違えたんじゃないかな」


しかし引っ越してきた時期と会わないと、先程言ったのは劉真だ。萌葱はその解釈は少し苦しいようにも感じたが、しかしそれ以外の解釈は見つからない。


「これで分かった。咲麗の記憶の鍵は、純麗の葬式なんだ」


劉真の話を聞きながら、萌葱はじっと黙って色々と考えていた。


死んだ姉の存在。しかも、咲麗の双子の妹。その存在が隠されていた。どれも、初めて聞いたことばかりだ。これらの事柄をどう頭の中で処理したものか、萌葱は戸惑っていた。


「劉真さん」


不意に、萌葱が呼びかけた。


「このことを、姉さんに話すつもり?」


劉真は少し目を伏せて、答えた。


「そうしなきゃ、いけないだろ。辛い記憶だとは思うけど、こうするしかないんだから。それとも萌葱は、やっぱり教えない方がいいと思う?」


劉真の声から感情は読めなかったが、萌葱は何も言い返せなかった。図星だったからとかではなく、何だか雰囲気的に、そうだったのだ。


「俺は、咲麗に記憶を取り戻して欲しい。お前が俺のこと、冷酷な人間だと思うならそれでもいい。けど、このままじゃ咲麗も可哀想だし、それ以上に純麗が可哀想だ」



二人の会話は、そこで途切れた。



next.





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