●○Still love you

東京から新幹線に乗って数時間、私は京都の駅のホームに降り立った。行き先を京都に決めたのに、深い理由はなかった。ただ、あの人と一緒にいつか行きたいねって話してた場所だったから。まさか、その京都に一人で来ることになるとは思わなかった。しかも、こんな形で。



彼と私が出会ったのは、大学生の頃だった。同じ写真サークルで、同期だった。いつもサークルのブースに顔を出すと彼がいたせいか、私たちはすぐに仲良くなった。そして気が付くと私は彼に恋をしていた。

大学生の間、私たちは恋人同士だった。そして卒業と同時に離れ離れになり、関係は自然消滅した。

再会は、今年の春だった。社会人になって三年目。大学時代の仲間たちが集まって、一緒に飲もうということになった。懐かしかった。けれど、季節は二人を変えてしまっていた。もう、以前のような関係には戻れないんだと思い知らされた。それでも私たちは新しいメールアドレスを交換し合い、たまの休日に会ってお茶をしたり、たまに電話で話したり、そんな友だち付き合いをする仲になった。そんな時に彼が打ち明けた、一つの事実。


――結婚することになったんだ。


彼は、照れくさそうに笑っていた。恋愛の悩みなんかも聞いていたから、恋人の存在は知っていた。でもその時、私は動揺を隠せなかった。

後になって、私は自分の感情の名前を知った。私はまだ、彼が好きなんだ。そう自覚すると、何だかとても申し訳ない気持ちになった。新しい道を歩き始めた彼。昔の恋にしがみついている自分。でももう、彼のことは忘れなきゃいけないんだ。もう、会わないんだ。そんな想いが、私を京都に向かわせた。



駅の建物を出ると、クラッとするほどの太陽の光が降り注いでいた。休日の京都はやはり人で溢れている。七月も半ばの夏真っ盛り。桜や紅葉が綺麗なこの街にとっては、オフシーズンなのだろうけど。

私は何度も読んでチェックしたガイドブックをもう一度開き、バス乗り場を探した。乗り場に着くとタイミングよく、緑色のバスがすぐにやってきた。


「ここ、空いてる?」


バスの座席に腰を下ろしてほっと一息ついたところに、不意に声をかけられた。目を遣ると、そこには同じ年くらいの男の子が立っていた。黒いTシャツと日焼けした肌に、白い歯が印象的だ。


「はい、どうぞ」


彼が私の隣に座ると同時に、バスが動き出した。


「観光?」


彼が私の手にしていたガイドブックを指差す。


「そうだけど…」

「珍しいな、こんな時期に。学生?」

「社会人よ、一応」


私が答えると、彼は「そうか」と顔をくしゃっとさせて笑った。人懐っこい笑顔だ。その顔を見ると、私の中の初対面の彼に対する警戒心が解けていく。


「あなたは? 京都の人?」

「そう、フリーターやっとるんや。今家に帰る途中なんやけど、よかったら京都の案内するで。どこ行くん?」

「最初は、東寺に…」


彼の柔らかい関西弁もどこか心地よくて、バスの中の短い時間で私たちはすっかり打ち解けてしまった。そして、せっかくだからと彼に京都案内をお願いしてしまった。初めて訪れる京都の街、一人で少し心細かったのは事実だ。道の先には東寺のシンボル、五重塔が見えてきた。



金堂、講堂、五重塔、国宝級の古い建物に向かって、私は夢中でデジカメのシャッターを切った。さすがに建物の中は撮影禁止だったので、そこに並ぶ仏像などの彫刻をしっかりと目に焼き付けた。


「写真、好きなんやな」


そんな私の姿を見ながら、彼が尋ねる。昔から写真は撮るのも見るのも好きだ。もちろん趣味程度だが、いつもカメラは手放せない。そしてその写真が、私とあの人を結びつけた。――そこまで考えて、私は軽く頭を振った。そうだ、これはあの人を忘れるための旅行なのだから。


「うん。いつも容量いっぱいまで写真撮っちゃうの」

「そうなんや。よかったら一枚撮ろうか?」


言われて、私はデジカメを彼に渡して建物をバックにピースサインをした。

太陽が眩しかった。周りには観光客らしき人影がほんの少し、そして地元の人なのか建物の前でスケッチをしている人の姿。日常から切り取られたその空間の中で、私は少し、あの人のことを忘れられたような気がした。



すっかり日も暮れてしまった頃、私は三条にあるホテルにチェックインした。道案内の彼も、今日は私に付き合うと決めたのか、わざわざついてきてくれた。

部屋に荷物を置いた私たちは三条の街で夕飯を食べ、彼の誘いで近くのカラオケ店に入った。この辺りは京都の中でも都会らしい。観光地というより、繁華街だ。道の両側に居酒屋やカラオケ店、コンビニなどの看板が見える。

一見スポーツマン系に見える彼は、意外と歌が上手かった。先程から人気バンドの最新の曲や少し昔に流行ったヒップホップ系の男性アーティストの曲など、色々なジャンルの歌を歌ってくれる。彼がデュエット曲を入れたので一緒に歌ってみたら、何だか二人の歌声が不釣り合いで笑えてしまった。

まさか京都に一人で来て、見知らぬ男性とこんなに仲良くなるなんて、旅立つ前の自分には想像できなかった。そんなことを思いながら、私は注文したアイスティーを一口飲んだ。


「…あ、この曲…」


見見慣れたイントロにふと、声を漏らしてしまった。


「どうかした?」


彼が入れたのは、あの人がいつもよく歌っていた曲。切ないラヴバラードだ。


「ううん、なんでもない」


あの人とは違う声で、彼がその歌を歌い上げてゆく。一緒にリズムをとりながら聴いていたが、最後のサビの盛り上がる部分を耳にした瞬間、彼の姿にあの人の面影がダブり、懐かしさとも何とも言えない感情が溢れて涙がこぼれてしまった。


「…泣いとる?」


歌い終えた彼が声をかけてくる。私は咄嗟に涙を拭い、笑顔を作る。


「違うの、欠伸したらちょっと…」

「嘘、やろ?」


私を覗き込む彼の顔は、真剣だった。


「ずっと気付いとった。お前、なんかあってここに来たんやろ」


その声が優しくて、縋りついてしまいそうになる。


「俺でよかったら聞いてやる。話してみ?」


私は唇を噛んで、小さく頷いた。

そして、話した。過去に愛した人のこと。あの人の結婚が決まったこと。そして私は今でも、あの人のことが好きなこと。


「だから全部忘れようと思って…この恋を卒業しようと思って、京都に来たの」

「そうなんか」


彼は、私を慰めるように、優しく笑って見せた。また涙がこぼれそうになったけど、私は泣かなかった。だって、強がりだから。ここで彼に縋りついてしまうのは簡単だろう。だけど、私は泣かないって、強くなるって決めたのだ。


「無理に忘れんでも、ええと思うけどな」

「え…?」

「好きなら好きで、その気持ちを大切にしとったらええやん」


彼の言葉に、私は絶句した。今まで考えもしなかった言葉。私はあの人を好きなままでいても、いい?


「未練がましくてもええんや。その人のこと、想って想って想い抜いて、そしたらいつかええ思い出に変わるし、別の誰かが愛せるようになる」


いい思い出に。そうなったら、どんなに素敵だろう。その頃にはあの人とも、笑顔でまた会えるだろうか。


「…て、俺は思うで」


にっと笑って見せた彼の笑顔に、根拠もなくこの人の言うことを信じてみようと思えた。


「歌おうか」


短い沈黙を取り繕うように言って彼が差し出したマイクを、私は黙って受け取った。



次の日、私は一枚の絵ハガキを書いた。宛先は、東京のあの人だ。

おめでとう、は言えそうにないけど。


――あなたの幸せを誰よりも願ってます。


そしてお互いに。


「幸せに、なろうね」


ハガキをポストに投函して、私はどこまでも青い大空を見上げた。



fin.


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比較的最近の作品。
ある歌の歌詞の続き募集企画というのに応募したストーリーだったり。
他に比べて描写が具体的になってるというのは自分でも感じます。





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